患者・利用者の活動と参加のある在宅生活をデザインする2 ~自立するということとは?~ 問題提起
タイトル「リハビリテーションの語源を再考する」
ある回復期リハビリテーション病棟を有している病院(以下回リハ病院)に対して、地域施設でPTをしている方からのご意見が、知り合いを介して私の耳に入りました。
「以前からあそこの回リハ病院から退院して、家に帰ってから当施設が介入する事があって。そこで感じるのが、その病院は身体は良くしてくれるんだけど、『リハビリ=セラピストがやってくれるもの』になってしまっていてクライエントが主体性のある行動をしてくれないんだよね。」
との発言でした。
私も回リハ病院のリハ部門を管理している身として、なぜこのような発言をされるのかを案じながら職場のセラピー場面を見ていたのですが、あることに気がつきました。
「リハビリテーション =理学療法・作業療法・言語聴覚療法」だけではない。
という事に気が付いていないセラピストが多いということです。
リハビリテーションの語源は『再び(Re)+出来るように(habiIis)+すること(tion)』が語源です。
では、誰が『再び出来るようにする』のでしょうか?
それは復帰したいクライエントであって、セラピストではないのです。セラピストはあくまでもその手助けをすることが役割なのです。
セラピストの業界では狭義のリハビリテーションと広義のリハビリテーションがあると教えられています。狭義とはPT・OT・STが行うセラピーを指して、広義とはその方がその方らしい生活や活動を再び出来るようにすることを指します。
話を最初の発言に戻しますが、地域施設でPTをしている方の嘆いた言葉の真意とは、
「回リハ病院はクライエントの自律に向けた支援をしないで、身体を治療するばっかりだからセラピスト依存にさせているだけなんだ」
と私は捉えています。
要するに狭義のリハビリテーションは実施されているが、広義のリハビリテーションがなされていないために起こり得たことだと感じて言います。
患者さんを良くするという使命感なのか、セラピストの本能かわかりませんが、私を含め回復期リハ病院に勤めているセラピストは、リハビリテーションという言葉の語源とそれに見あった行動がどの様なことなのかを再考する必要があるのかもしれません。
『エンパワメントベースの退院支援モデルに関する実証研究』